昨秋は彫刻界の偉人ロダンと、薄幸の画人ドガとを遂に失つてしまつた。二人共仏蘭西一国の悲しみではない。誠に世界芸術界の不幸である。 ドガは水彩、パステルの名手とされて居た訳では無いが、彼の作品の中には、殊に水絵具やパステルで描いたものが多いし、又是等の作品の方に傑れたのが多い様だ。又素描も随分沢山あつて、よいものが多いと記憶して居る。ドガはロートレクなどとも共通した点があつて、非常に純細な感情を持つた、こなれ切つた趣味性の作品である。これは二人共文化の爛熟して居る都に生れた、巴里人（パリジヤン）の画描きであるといふことが、作品の根本になつて居る為めであらう。普通の都人趣味に止まつて居てはつまらないのだが、二人共性其の者が純化された都人であつて、優れた芸術の祝福を享けた人達であるから、ゴヤなどの様に野性的の強い味では無い代りに、鋭い感情の所有者であつた。之れが都人の性の根底から線や色に純清な画になつて生れて来る。 かなり沢山見たと思ふが、ドガの画の中には、水絵と云つても、黒（ブラツク）と白（ホワいト）とで描いたのが多くある。大抵例の踊子の画で、よい画である。一体にドガの画はどれも調子がよく整つて居るから、墨と胡粉とで描いた画も、色がある様に見える。此の点はドーミエの画がペンで骨描きをした上へ、水彩の黒（ブラツク）の一色を以て濃淡の調子をつけたのが、よい感触を持つて居るのと似て居るが、ドーミエの画に実相の強味があるに比すると、ドガの画面の調子はやさしくしやれて居る。之れはドガが巴里人（パリジヤン）だからと思ふ。兎も角水絵具を用ひて描いた一色画は、ドガの作物の中にパステル画と同じく重要な位置を占めて居る。 ロートレクにはかなり大きな油絵や、又曲馬の看板に描いたものなどもあるが、此の人のも矢張り小さいものの方が優れて居るかと思ふ。此の人も水絵が上手であつた。家根裏に住んで居る様な貧乏人のかみさんの顔などをよく描いて居る。ドガと同じく非常に線の働らいて居る画であるから、小さいものの方が適して居たらしい。線の働らいた画だから勿論素描は生きて居る。かう云ふ線の生きて居るといふことは、此の人など挿画を沢山描いた為めなどではなく、矢張り都人といふ性から生れて来て居るんだと思ふ。 此の二人の画が水絵、パステルなどによいものが多く、独自な純感性を扱つて居るのは、水絵具といふ純感性の材料と、都会人といふしやれた性とに合ふ点であらう。画題なども此の二人の好んで選んだものは、大抵都会人の生活か感情、ロートレクの方は其の中でも癈頽し行く都会人の内部生活などが多く、到底田舎者の所有し得ない性なり情なりだと云つてよい。 私は水絵に関係した感想を述べるつもりでドガやロートレクを引き合に出したのだが、此の二人などはたしかに自分の芸術的要求と水絵といふ材料とが、ピタリと合つたものを作つて居ると思ふ。一体に仏蘭西人の水絵、マチスやセザンなどもチヨいチヨい描いて居るが、水絵具にあまり捉はれて居ない様た。英国人の水絵とは私は大きに違ふと思つて居る。 一体日本人の性は仏蘭西芸術が好きなんだと一口に言つてしまへば簡単だが、然し英国人は芸術上に随分不明な点が多い様だ。之れは英国人などで水彩ばかり描いて居る人は、或は根本的に画の修業が違ふかも知れない。つまり水絵が多い国だし、又それを国の特色の様に思ふかも知れないから、素人画家が多いので目立つのかも知れない。 兎も角捉へ処が捉へて無い水絵よりは、捉へ得た素描があれば其の方が面白い。ドガの一色画などはよく之れを証している。一色の材料で自然に深入りして見ようといふ趣味を持ち出す人は少い様だけれども、之れが自然解釈の一番捷径だとも言へる。佳い画や面白い画は、毎にそれを希はない手にさづかるんだから。（大正七年三月・みづゑ） |
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