今の東京や、東京の囲りに住居するといふことは、閑寂を欲する者にとつては、決してあまり楽しいものではない。そのあまり楽しくもない東京市外に私も永らく住んで居るが、さればと云つて帰るべき故郷の家といふものも無いし、又芭蕉などのやうに行脚を芸術生涯とすべくは、自分の芸術生活は違ふものがあつて、さういふ気にならぬ。 そんなことを数年前考へたこともあるが、結局は成行に任せるといふことを、又芸術といふものの本体を、宿命的に信ずる私にとつては、そんな考をすることは無駄なことである。 東京や東京の郊外といふものは、さまざまな点で、私のやうな生活能力の弱い者にとつては、随分不便でもあり、困ることも多いが、又私を喜ばせるものもある。私は一向所謂銀ブラなどの趣味もなし、芝居を見、音楽を聞きに行くのも兎角おつくうの方で、夕めしを喰へば寝てしまふといふやうな日が多いから、さういふ方からは何も都会の付近に住む御利益をうけて居ないが、兎も角都会付近に住んで居る事情の成行が、必らずしも私を不幸にはして居ない。 日常のことを言ふと、私は着物などには趣味もなし、何んでも事情に任せて、有るものを着て苦情を言はぬ方だし、混み合ふ電車に乗つたり、自動車に追ひまくられながら市中を歩くことなどは閉口の性分だが、甚だいぢの汚い話しだが、喰物たけは都会付近に住んで居るお蔭を蒙り、それを喜んでも居る。私は決して所謂喰ひ道楽でもなし、又変つたものを喰ひたいといふではないが、田舎に住むよりは、都会に近いといろいろなものが季節毎に味へる。新鮮なものの得難いのを残念に思ふけれど、それでも田舎だと一地方で無ければ未だ出ない蕗の薹も、新春年々に味ふことが出来るし、自分の庭に樹が無くても、柚子の香りを汁に添へることも出来る。総体野菜といふものは出盛る頃がよいのだが、香の物を好む私は、香のある野菜ばかりは出初めのものが欲しい。所謂喰ひ道楽の人は、はしりものに興をもつものだが、私のはさうでなく、季節になつて出初めたものに香の高い味ひを喜ぶに過ぎない。田舎ではなかなかさう行かないで、木の芽が欲しいと思つても、近所に無ければ一寸得られないものだ。 そんなことが私の市外住ひの日常生活をやはらげてくれるのだが、何と言つても野育ちの私は、魚と言へば海魚よりも川魚がよく、それも東京人のあまり賞美しない鯰や鮒がよいといふ性分だから、遂ひ食ひ物談をしてしまつたが、今の市外住ひといふものは、成り行きで住んで居るといふ気持はまぬかれない。然しそれは何処に住んでも同じやうなものだらうと感じて居るから、私はあまり不平は言はない。先づ十坪の空地に花を咲かし、南向の窓下に小鳥を飼ひ、折々硯からはなれてそれを見るのは悪くないものだ。 （大正十四年一月・中央美術） |
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