セビヤのホテル、シモンを立つて、グラナダ行の汽車に投じたのは、朝からカンカン日の照る暑い午前であつた。発車の時間の不自由で、不潔な西班牙（スペイン）の列車は一等と云つても漸く仏蘭西の二等にも及ばない設備であるので、随分と暑い夏の日の旅には全くよわらされるのである。然も僕の投じた汽車は、途中の小駅に立往生をして、二時間も待たねばならなかつた。暢気な西班牙人達はそれでも一向に苦情も云はずに、車から下りて雑談に更つて居るには呆れたものである。 グラナダに着いたのは規定の時間を三時間も過ぎて、夜の十二時よりも後れて居た。僕が投ずべく定めた宿は、戦争の不景気の為か閉ぢて居たので、アランプラのパンシヨンに入ることとなつた。此の宿も亦暢気な点は西班牙をよく現はして居る。昨朝僕は見物の都合から、八時にカツフエーを命じて置いたのに、時間を過ぎても給仕は未だ寝て居るのである。漸く九時過に宿を出でて、昨日一日を此の南西班牙の見物に費して、セビヤの炎天に大分弱らされた僕も、此のアランプラには少しの森があるので、幾分か凌ぎよいのを嬉しく思つた。而しパレス、アラブの見物を終つて、町はづれの岡の中腹に穴居するグラナダ名物のヂプシーの一群を訪うた時は、随分暑かつた。漸く小さなカツフエーを見付けて、ビールの一杯を飲んで渇を凌いだ折の心地よさは、今だに忘れない。 アランプラの森を出でて行く路には、旅客を待つて、幾らかにありつかうと云ふ奴がしきりと案内をすすめる。僕は此の通りベデカーを持つて居る、案内はいらないと云ふのだが、彼等はなかなか諾かない。終には僕も面倒になつたので、スペイン語は分らぬの一点張りで漸く切抜けることが出来た。ヂプシー等の穴居する処は、サボテンの茂る岡である。彼等は全く一日何をして暮して居るのか、路一面に臭い物をたれ流した上に、ブラブラと遊んで居る様である。彼れ等の中の若い女等は遠方から旅客を見付けだして、旅客が写真を撮るのか、スケッチをするのかをすぐ判断するのは馴れたものである。 |
 《挿絵・ジプシー》 僕のスケッチブツクを見付けた 一人の女は、一時間一ペセタのモ デル料を、仏蘭西語と西班牙語と を混ぜて頻りとねだるのだ。僕が 欲しくないことを言つてもなかな か承知しない。此方もとうとう臭 気に堪えへかねて、ほうほうの体 逃げ出さなければならなかつた。 |
此の一群を訪ふことは、炎天に放つ臭気と無数の蝿に襲はれることによつて如何にも辛棒し難い。 西班牙の九月はまだなかなか暑い酷暑である。僕が手帳を開く路の前方、僅の木蔭に暑を避ける宿なしの一群がゴロゴロ寝ころんで居る。此のなまけものの漂浪者等も、亦旅客を見付ければ何か必ずねだるのである。彼等は巻煙草の一本をでもねだり兼ねない。驢馬の背に瓶をつけて、水汲みに通ふ赤いシャツの男等と、宿なし男の棒きれを持つたのが到る処にぶらぶらして居るのは、グラナダに最も多く見られる。アランプラの宿に今朝僕がカツフエーを飲んで居る窓外には、赤い着物のヂプシーの女が来て、何かしきりと強請つていたが、僕は「否」の一点張で彼を追ひのけざるを得なかつた。旅の記念に一枚の画幅を得る希望も、その厭に旅馴れた、顔に白いものをこてこて塗つた、妙な手つきをして姿勢を執らうとするのを見ては、とても描く気にはなれない。今追ひかへした女も、多分僕が昨日漂浪者の一群を写したのを見て、押し掛けて来たものと見える。（グラナダにて） （大正四年十月十日・大阪毎日新聞） |
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