拝啓 戦争以来種々な事情で御無沙汰申しまして御詫を申上ます。 小生は只今此の仏蘭西の南部プロヴアンスヘ来まして、一月余りになりました。巴里が危かつた折一旦倫敦へ行きましたが、小生の研究の便宜上又仏蘭西へ帰りました。ロンドンを去つて巴里を通過した際は、未だ独軍が近かつたので巴里市中は古都の夜の如く、光の漏るる窓とては無かつたのですが、最近巴里よりの消息によると漸く芝居が二三開き、シネマなども大抵夜の八時までやる様になつたと云ふことです。従つてカツフエーも夕方戸を閉ぢたものが九時まではやつて居るやうです。 小生は便宜上リオンの郊外から此の南のプロヴアンスヘ来まして、北の戦地の様子は村人や新聞によつて知つて居るのみですが、今戦時のフランス内の国情を知る事が出来ます。今仏国民は全く挙国一致の態度で今度の戦争に従つて居る様です。此のプロヴアンスでも若き者は悉く軍に出たので、今家に在つて商業や農事に従つて居るものは老人と女許りで、村の農家では漸く麦蒔きを終り、昨今プロヴアンスの名物のオリーブの実を老人と女と子供とで毎日採集にかかつています。仏蘭西の女は都会の一部を除く外、全くよく働くことに感心せねばなりません。夫の留守をまもる婦等は、朝は小生等が未だベツトに在る未明に、既に羊を追ふ声を聞く程です。小生は今ヱツクスとマルセーユとの間の一小村に在るのですが、此のプロヴアンスの人間は仏蘭西人の中で一風異つて居るので、日曜に村のカツフエーなどに集る老人達の話もなかなか盛んで、彼等は安葡萄酒をあふりながらカルタをやつて居ます。一体プロヴアンスの者は法螺吹きで、嘘吐きだとされて居る程あつて、小生の今借りて居る家の家主（老婦）なども、なかなか小生の友人をつかまへてあほり立てて居ます。それ丈け此のブロヴアンスの人間は又面白い処もあるのです。画家ではドーミヱー、セザンヌを出して居ますが、之れ等の芸術家も亦一種頭抜けて独特のものを有つて居るのです。 |
 《挿絵・プロヴアンス》 |
マルセーユ、ヱツクス等の町を守る黒人の兵共を、日曜毎に街道の電車に見掛けます。彼れ等は此の本国の冬に閉口して居る風で、その華手な軍服の上に襟巻をし、背をかがめて塞がつて居るのが可愛相にも見えます。彼れ等はなかなか愛矯者で、片言の仏語を盛んにしやべつて居ます。戦争以来大使館仏国政府がボルドーへ移ると同時に、巴里に在つた日本人は殆んどちりぢりになりましたので、一時リオンに沢山集まつたのですが、一部は今巴里へ帰りし外、或は英国に或は田舎に引籠つて居るのです。旅行の面倒臭いことや、スケッチなどのやりにくい事に皆よはつて居るのです。 小生なども旅行券、在留証などがもう五六枚も溜りました。身を動かす毎に役場や警察に之れを求めなければなりません。そして常に所持して、日本人にして画家たることを証せねばならないのです。 昨今は日本よりの手紙が早きもので四十五六日、遅きものは二ケ月以上かかつて手に入ることを得て居ます。小生は漸く今日久しぶりで日本の新聞を手にして、秋の画界の様子などを知り得たのです。 十二月十日 プロヴアンス、ルインヌにて 森田恒友 （大正四年一月二十一日・大阪毎日新聞） |
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